献立日記→ひばり日記
皆さんどうも。
おむすび ひばりを始めることになりました。
最近、めっきり更新してないこの献立日記がもったいないので、
こちらをひばり日記として使うことにしました。
改めてよろしくお願いします。
ひばり
↑トンチェリカ先生に描いてもらったイラスト。お気に入りをお裾分け。
できる範囲でやる
こんばんは。
またちょっと色々思うところがあったので、勢いでブログを書いていますので乱文をお許しください。
たとえ料理の出来ないオヤジ(自分の父のことではない。なぎら健壱みたいなイメージ)でも、美味い酒と肴の味は知っているものでして、
そんなオヤジが冷蔵庫をおもむろにバカッと開けて、キャベツを何枚かちぎり、ジャーっと水で洗って、皿にババッとキャベツを乗せて、味噌を皿のふちに擦り付けて盛る。
それを肴に日本酒で一杯やりながら、野球中継を観ている。
ガサツに見えますが、こういう料理(一般的には料理とは言えないかもしれないが)が私は大好きでして、
こうした、あまり手をかけてない料理を『大人な料理』として位置づけ幼い頃から長年憧れていました。
ですので、私の偏見で申し訳ないですが沢山手をかけられた料理には多少、ポップ過ぎると言いますかゴチャゴチャしていて落ち着かない気分になるところがあったりします。(否定している訳ではない。たまにそんな料理に出くわして感じる時がある。)
複雑に組み合わされた料理の旨味も、もちろん好きですが、歳を重ねていくごとに質素にシンプルに近づいていきたいという自分もいます。
また、腹を満たす料理と心を満たす料理とが自分の中に両立しており、質素やシンプルな料理は後者にあたり、
質素ながらも季節や工夫、知恵を感じられる物にとても心を動かされますし、自然を感じることで、人であることに気づかされ、物を活かす努力をしようと努め、日々を大切にして過ごそうとします。(いいことを今、言ったね)
と、なりますと日々の生活のなかで家庭料理に求められるものは何であるか、自ずと見えてくるものでして、
周りの目を気にしたり、格好をつける必要はなく、真心一心からなされる物がやはりいいのではないかと思うのです。
食べてもらう人だけにとどまらない、自然や季節、食材までに愛情をもってなすことが、おもてなしの真心ではないでしょうか。
一度限りで冷蔵庫に眠らせてしまうことに、後ろめたさを感じてくると思います。
家庭料理はこうした三方良しの円になっていますので、いわば小宇宙と言いますか生活の哲学の様なものを感じます。
とにかく出来る(無理しない手の届く)範囲で、毎日料理を作ってみてください。
↑焼き鮭、味噌汁、ご飯、漬物。何気ない料理でも手作りの器(妻が作ったもの)で食べると最高のご馳走になります。
朝ご飯から推察
思いついたままに書いてます。乱文をお許しください。
目覚めた身体には温かい汁物(味噌汁やお茶など)を取り入れたくなります。
胃の中に温かいものが入ることで、食べ物を消化する準備が整うような気がしています。
そんな気分のなか、我々人間の歴史を振り返りますと、蛇口を捻ればお湯が出て、コンロを捻れば火が点くなんてことは当たり前ですがつい最近のことでして、
それまでの何万年という歴史のなかでは考えられないことであることに気づきました。
昔であれば水を汲み、火をおこし、収穫し、下ごしらえをして調理してから食事となります。
この間、1〜2時間でしょうか。
現代での暮らしがいかに便利であり、身体を使うことなく食事を手にしているかが分かります。
確かに、起きてすぐよりはある程度時間が経過したほうがすんなり食事出来るような気がします。
これは、身体の仕組みが過去の経験から計算されたものではないのかと私は思うのです。
人間の反射に人類の歴史を感じることは多々ありまして、苦味、酸味には嫌悪感を感じ、腐敗したものから身を守ってくれています。
他にも、赤は血を連想し危険を察知してくれますし、黒板に爪を立ててキィー!っとやると嫌な気持ちになります。(これは猿時代の名残?)
この様に、過去の経験から得た知識はDNAにデータ保存されている訳ですから、
朝起きてすぐにご飯が入らないなぁと思ったりするのは当然の反応ではないかと思うのです。
朝ご飯をしっかり摂りなさい。とよく聞きますが、あまり気にしないでもいい気がします。
毎日ご飯が食べることが出来ている飽食の現代では、一食抜けても何の問題もないでしょう。
食べたくなかったら食べない。
食べたかったら食べる。
自分の身体ですから自分の身体の反応に素直に従っていいと思います。
身体の反応はこれまでの人類の歴史の産物です。
それを否定してアレコレ言って指摘する人は多いです。
世の中を朝の味噌汁から推察してみました。
『料理』の言葉の意味は、物の道理を料ることだそうです。
料理ってやっぱり面白いですね。
↑おでんの大根は皮を厚く剥くことで、柔らかく美味しく仕上がります。味噌汁にはその皮を使いました。美味しいお味噌汁です。家庭料理にはこうした物を活かす行為が散りばめられています。
ちょいとご紹介
僕の料理のジャンルは『家庭料理』でございます。
家庭料理と言いましても色々ありまして、僕のいう家庭料理とは一汁一菜を基本とした『汁菜香』の料理です。
持ち合わせの食材と季節を活かすこと。
たったこれだけです。
少ないと思われるでしょうが、これだけで充分なのです。
料理と生活は切っても切り離せないのです。
毎日続けられる料理でないと意味がありません。
まずは料理を毎日作ること。
これにつきます。
↑秋刀魚が食卓に並ぶとどの季節を感じますか?
あれれ
なかなかうまくブログが更新できません。
かっなーり長文書いたのですが、全て消えてしまったのでショックです。
とりあえず、今日は寒い日に『釜揚げうどん』でした。
おろし生姜がポイント!