できる範囲でやる
こんばんは。
またちょっと色々思うところがあったので、勢いでブログを書いていますので乱文をお許しください。
たとえ料理の出来ないオヤジ(自分の父のことではない。なぎら健壱みたいなイメージ)でも、美味い酒と肴の味は知っているものでして、
そんなオヤジが冷蔵庫をおもむろにバカッと開けて、キャベツを何枚かちぎり、ジャーっと水で洗って、皿にババッとキャベツを乗せて、味噌を皿のふちに擦り付けて盛る。
それを肴に日本酒で一杯やりながら、野球中継を観ている。
ガサツに見えますが、こういう料理(一般的には料理とは言えないかもしれないが)が私は大好きでして、
こうした、あまり手をかけてない料理を『大人な料理』として位置づけ幼い頃から長年憧れていました。
ですので、私の偏見で申し訳ないですが沢山手をかけられた料理には多少、ポップ過ぎると言いますかゴチャゴチャしていて落ち着かない気分になるところがあったりします。(否定している訳ではない。たまにそんな料理に出くわして感じる時がある。)
複雑に組み合わされた料理の旨味も、もちろん好きですが、歳を重ねていくごとに質素にシンプルに近づいていきたいという自分もいます。
また、腹を満たす料理と心を満たす料理とが自分の中に両立しており、質素やシンプルな料理は後者にあたり、
質素ながらも季節や工夫、知恵を感じられる物にとても心を動かされますし、自然を感じることで、人であることに気づかされ、物を活かす努力をしようと努め、日々を大切にして過ごそうとします。(いいことを今、言ったね)
と、なりますと日々の生活のなかで家庭料理に求められるものは何であるか、自ずと見えてくるものでして、
周りの目を気にしたり、格好をつける必要はなく、真心一心からなされる物がやはりいいのではないかと思うのです。
食べてもらう人だけにとどまらない、自然や季節、食材までに愛情をもってなすことが、おもてなしの真心ではないでしょうか。
一度限りで冷蔵庫に眠らせてしまうことに、後ろめたさを感じてくると思います。
家庭料理はこうした三方良しの円になっていますので、いわば小宇宙と言いますか生活の哲学の様なものを感じます。
とにかく出来る(無理しない手の届く)範囲で、毎日料理を作ってみてください。
↑焼き鮭、味噌汁、ご飯、漬物。何気ない料理でも手作りの器(妻が作ったもの)で食べると最高のご馳走になります。